新米主婦の奮闘日記
起業をめざした新米主婦が日々の奮闘を綴る。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
父が認知症と診断されるまで
ある日母から電話があった。
父が暴力をふるうと。

昔から子供ながらに思っていた。
父は変わった人ですごく理屈っぽくて近づきにくいなあと。
だから次第に会話することも遠ざけていた。
母も父の面倒な話が始まると聞いているようで聞いていない。
それでも私は大人になってからは
できるだけ理解しようと話は聞くようにしていた。

そんな父が暴力をふるう・・・全くなんてことだと父に電話した。
母に暴力をふるわないでと。
ときにはありがとうと言ってあげて欲しいと。
すると自分は悪くない、母が悪いと言う。
決して謝らない。
暴力も肯定するような内容の話もあった。
話が平行線なので、そのときはとにかく暴力はしないように
ということだけ伝えて電話を切った。

昔からそうだが、
80過ぎの父は決して謝らないし「ありがとう」なんてもっての外。
そして暴力に暴言まででるようになり、なんとかしなくてはと思った。
妊娠中の私に心配させるようなことを言うのは母も悩んだことだろう。
そこで私の住んでいる地域で知り合いのいた
老人福祉施設に相談することにした。

もしかしたら認知症かもしれないので、
お母さんの住んでいる地域の包括支援センターへ
相談してみてはどうかとのこと。
その旨を母に伝えた。

ここで問題が。父にバレないように
どうやったら包括支援センターへ相談に行くことができるのか。。。
母は私や包括支援センターへの電話すら家の外に出てしていた。
父は自分はなんでもできる、まだまだ元気だと自負している。
実は父は以前、認知症テストを受けたことがあり、
脳のMRIも撮ったことがある。
相当説得して病院に連れて行ったようである。
そのときは年相応の結果で、異常はなしとのことだったのだ。
それもあって父は良いのか悪いのか
ますます自信を持ってしまっている。
母は父に「病院に行くから」と言って
包括支援センターへ相談にでかけた。
病院なら時間がかかっても問題ないから。

そこでまずは包括支援センターのスタッフさんと
専門のお医者さんが自宅に訪問してくれることになった。
父を連れて認知症の診断のための病院に行くことは
相当難しいからだ。
それも自然を装って、
お年寄りのいるお宅へ市からそれぞれ訪問に来ていますと。
母から相談を受けたことも無かったことにし、
母にも初めて会ったように接してもらった。
そして会話しながら診断したり、また認知症のテストを受けたりした。
母も同じように認知症テストを受けた。
やはりもっと詳しく調べるために病院に行くように言われた。

どうやって病院に連れて行くのか??
いちいち大変。
お互い年をとったし、
お母さんも一緒にテストをうけるからと納得させたと思う。
確か、包括支援センターのスタッフさんと先生とが
一緒に迎えに来てくれたと思う。
母1人で父を連れて行くことなどとてもできないから。

結果は
『アルツハイマー型認知症・レビー小体型も併発』との診断だった。
数年前の検査では異常なしだったにもかかわらず、
今回は認知症と診断された。

両親は年をとってから2回引越しをしている。
1回目の引越し以来、父は怒りっぽくなったのは確かだ。
引越しはお年寄りにはかなりのストレスになるという。
そういう理由もあるのかどうか確かではないが、
父の言動にあれ?と思うことが徐々に増えてきていた。
でも認知症という考えにはなかなか至らなかった。
父の性格なのかなと思ったので
最初はなんとか母と仲良くしてくれるように言うことしかしなかった。
母もそんな父に正面から接することしかできなかった。
だから少しでも違和感を感じたら
どこかに相談するのはとても大事だと思った。

父はピアノを大人になってから始めている。
私の結婚式で一緒に合奏したのが最初で最後になってしまった。
2回目の引越し後に
親子で出られる親子コンサートがあることを知り、
私の子供も交えて親子3代で応募するつもりだったが
実現しなかった。
もう少し落ち着いたら
またそんなコンサートをやりたいと思っていたが、
今となってはもう父には楽譜が読めない。
認知症になると書類や地図が理解できなくなるが、
楽譜も読めなくなるようだ。
昔やった曲ならできるかなとも考えたが、
それもかなりたどたどしい演奏で、一緒に合奏するとなると難しい。

父は絵を描くことも好きだった。
すごく細かいところまでルーペで見ながら植物の絵を描いていた。
それも今では子供の絵のような絵しか描けなくなってしまった。

庭の手入れも父の大好きなことだ。
好きな花や木を植え、草取りや剪定、水撒き。
毎日のように外で何かをしている父だった。
でも今は一応外に出るが何をしたら良いのか混乱するようで、
水撒き用のホースを分解してしまっては困って
そこまでになってしまう。

人生というのは長いようであっという間だと思った。
やりたいことは『後でそのうち』ではなく、
そのときにしなくてはいけないなとも思った。
認知症は死への恐怖を
少しでも和らげるためにあると聞いたことがある。
でも認知症になっても生き生きと過ごせる方法を知りたい。
好きだったことがどんどんできなくなるなんてなんと悲しいことだろう。
今の父はどんな世界にいるのだろう。
そう思うととても切なくなってくる。

<< 父の認知症 もくじ
>> 認知症の父が施設に入所するまで
スポンサーサイト
父の認知症 もくじ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。