新米主婦の奮闘日記
起業をめざした新米主婦が日々の奮闘を綴る。
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認知症の父が施設に入所するまで
最初はデイサービスから始めた。
毎日、認知症の父と24時間二人きりでいるのはとっても大変なので、
少しでも母の負担を軽くしたいから。
また、ゆくゆくは施設に入ることになるかもしれないなとも考えていた。

父は『アルツハイマー型認知症・レビー小体型も併発』という症状で
要介護2と認定された。
包括支援センターのスタッフさんの協力や
かかりつけのお医者さんの意見書などをもとに、
市へ認定の申請をした。

隣町のデイサービスへ通うことになったが、
さてどうやって父に通ってもらおうか??
嘘は言いたくないので正直に
「今度デイサービスに行ってみようね。」と母から伝えた。
父は自分が認知症であることをはっきり病院で聞いているが、
自分のこととはわかっていないようだ。
自分がボランティアのために施設に行くと思っているらしい。

当日デイサービスのスタッフさんと
なじみのある包括支援センターのスタッフさんで迎えに来てもらった。
やはりプロであるから、対応に慣れていらっしゃって
上手に誘導して連れて行ってくれる。

認知症の父は、初めて会う人や初めてのことをすごく警戒する。
でも他人にいい顔をしてしまうので
「行こうね。」と言われると断れないのだろう。
それに父の難解な話を聞いて、「またお話聞かせてくださいね~」と
言ってくれるので父は気分が良い。
でもデイサービスから帰ってくると「もう行かない」と言うらしい。

父は会話が成り立つときもあれば全く成り立たないときもあり、
昨日の記憶があるときもあれば全く忘れてしまっているときもある。
自分の言いたいことがうまく言えなかったり伝わらなかったりすると
だんだん不安感やイライラが出てきてしまうようで
母への暴言や暴力に繋がるらしい。
母もなるべく否定したりしないようにしているが、
毎日24時間ずっとそうするのはなかなか難しい。

私はちょうどイヤイヤ期の子供がいるが、
父はまったくその子供のようだなと思うことがよくある。
気に入らないことは気に入らない、
食べたいものは食べたい、いらないものはいらない、
そこを邪魔されるとすごく腹を立てる。
怒り出すと何をしても何を言ってもどうにもならない。
うまく誘導して他の事に気を向けさせられたときは良いが、
いつもいつもそううまくいくものではない。
まったく一緒である。

そしてときどき自分の頭を指差しながら
「何かこう・・・頭の中がどうにかなってるのかな」と
父が言うことがある。
自分の中でも年をとることに抵抗しているような、
年を取った自分と
そうではない自分とが戦っているようなそんな印象を受ける。
きっと自分が老いていくことを認めたくないのだろう。
「認知症で脳が萎縮しています」とお医者さんに言われても
ピンときていない。
自分以外の誰かのことだと思っているようだ。

父は行方不明になったことがある。
まだまだ認知症初期のころである。
そのころはまだ1人で留守番ができていたので、
母は用事で近所まで少し出掛けた。
その母を父は捜しに出掛けたのである。
近所の人に母を見なかったか?と聞いていたそうである。
一見普通に会話ができるので、
父の認知症を知らない人は尋ねられたら普通に答えてしまう。
そして言われたように母を求めて歩いていたら迷子になってしまった。
母は悩んだが警察に連絡し、捜してもらった。
夜中になって近くの公園に倒れている父が見つかった。
低体温症で意識が朦朧としていたそうであるが
命に別状は無く、朝になって退院した。
本当にびっくりして、もうこれまでかとも思ったが見つかって良かった。
そのことがあって、やっぱりそうなんだ、認知症なんだと再認識した。

行方不明になるちょっと前に
父と母がウチに遊びに来たことがあった。
そのとき一緒に夕食を食べたが、サラダにかけた
ドレッシングに入っていた粗挽きの黒胡椒を父は箸で退けていた。
そのときは私もおかしいなあと思うだけで、
認知症の人によくあることとはわからず、
「それは胡椒だよ」と注意してしまった。
黒いものを小さな虫だと思い込んでしまうことが
よくあるらしいと後で調べて知った。
母からも幻視のことは聞いていた。
「知らない人が家の窓から見ている」と父が言っていたそうである。
でもなかなかそれとこれとが結びつかない。
だから知らないうちに父を不安にさせてしまったり、
傷つけてしまったりしていたかもしれないということにハッとした。

そんな生活がしばらく続いた。
父も要介護2から要介護3になり、
重度の知的障害との診断も受けた。
母とは連絡を取り合い、愚痴をいろいろ聞いたりしていた。
そしてお正月には孫を連れて遊びに行っていた。
会う度に父が年老いていくのがわかった。
会話のつじつまが合わないことが増え、
歩くのもかなりゆっくりでよぼよぼしてきた。
あるとき将棋に興味をもったウチの息子がどうやってやるの?
と聞くので父に教えてもらおうと聞いてみた。
でも何を言おうとしているのかさっぱりわからない。
わからないからさらに質問するが質問に対する答えが返って来ない。
『筋道を立てて説明する』ということがもうできないのだなと思った。
そういえば、よく子供たちはしりとりをして遊ぶので、
前に父を誘ってみたことがあったができなかった。
説明したり、言葉で遊んだりというのはもう難しいようだ。

また、父は夜中に何度もトイレに行く。
その度に母は起こされる。
布団を汚してしまうこともしばしば。
その度に母は布団を干し、父を着替えさせ、洗濯する。
母は腰が悪く、重たい父の足を上げて着替えさせることは
本当に重労働である。
父は「床から水が湧いてきた」と言い訳し、
または逆切れして母のせいにして罵倒することもある。
プライドがあるからだろうとは思うが、
毎日世話している方からすれば本当にやりきれない。

何が大変か数えればきりが無い。
いくら他人に大変さを説明してみても、
やってみないと本当にはわからない。
私は父とときどき会う程度だから想像することしかできないが、
介護と子育てって似ているなあと思うことが多い。
でも子育てには喜びもあるし、自分も成長できる。
介護はどうなのだろう。。。

父は穏やかなときもあり、また母のことをスタッフさんだと勘違いして
「どうもありがとう」なんて言うこともある。
そういう毎日ならなんとか世話できるかもと母も思う。
でも一旦怒りだしたり、罵倒したり、夜中に何回も起こされたり、
勝手に火を使ってないか、
電気や暖房を付けっぱなしにしていないか、
勝手に外に出て行かないかなどを
常に見張っていなければならなかったり、
そんな生活は本当につらい。
そうなるとやっぱり施設に入ってもらおうかと悩む。
でも父の人生を奪うことにならないかと申し訳ない気持ちになるし、
面倒を見られない自分を責めてなかなか決心が付かない。

母が決心したのは自分の腰の手術をすることになったからである。
それまでにも施設の見学にはいくつか行っていた。
申し込んでもすぐに入れるわけではないので、
いざというときのために早めに申し込むだけでも
しておかなければと思ったからだ。
特別養護老人ホームは費用が比較的安いが空きがない。
有料老人ホームも安いところは空きがなく、空いているところは高い。
それに結構へんぴなところにあることが多いし、
雰囲気がなんとなく暗いところが多い印象だった。
贅沢は言えないがやっぱり納得のいくところを選びたい。

母が見学に行ったある施設では、
「そんな大変な人は受け入れられません」と言われたそうである。
母は涙ながらに
「大変な人を受け入れるのがそちらの仕事ではないですか」と。
介護に疲れきっている人にそんなことを言うなんてなんてことだろう。
逆に言えば、そんなことを言ってしまうほど
施設の人も切羽詰っているということなのだろうか。

幸いウチの近くに新しく施設がオープンしたことがわかり、
空きがまだあるということなので見学に行った。
有料老人ホームなので少し高いが、
ウチの近くだというメリットがすごく大きい。
母が手術で来られない間、私が通うことになるので、
赤ちゃんを持つ身で近いというのはすごく良い。
母と施設のスタッフさんと今までお世話になっていた
ケアマネージャーさんと話し合い、
納得いくまで話を聞いてそこに決めた。

決めたは良いが、どうやって父を連れてくるのかまた悩む・・・。
無理やり連れて行くのは良くないし、騙すようなこともしたくない。
何回か父に入ってくれるようにそれとなく話をしてみる。
母の手術があるからその間は施設にいて欲しい。と。
ウチも近いし、今度遊びに来たときに一緒に見学に行こうね。と。
「うん。」とか「そうか。」という返事だったり、
「自分は1人で大丈夫だ。」「今まで全部自分だけでやってきた。」
なんていう話になったり。
1人でなんて絶対無理なのに認めたくないのである。
そこを否定するようなことを言うと怒り出すことになるので、
本当に毎回話しをするのは大変だった。

後日、「この間話した施設に今から見学に行こうね」と言うと
「じゃあ行こう」というので予定通り見学に行った。
どうしてかはわからないが、行く気になってくれて一安心である。
別行動で母はスタッフさんと最終打ち合わせを、
父は施設を一通り見学させてもらう。
「どうだった?いいところだね」と父に言うと
「うん・・・やっぱりここはどうも具合が悪い」と言う。
「ご飯もおいしいんだって。お母さんの手術の間はいてね」と
言うしかない。
「・・・」

入所までに部屋をいつでも使えるように準備した。
介護用ベッドのレンタル、タンスやイス、
着替えや布団、オムツなどなど。
そして父には「今度、この間見学に行った施設で私が演奏するから
聞きに来てね」と伝えた。
すると父は「うん。聞きに行く」と。
父は可能な限りはいつも私の演奏会には顔を出してくれるし、
とても楽しみにしてくれているようなので
施設の方にも演奏させてもらえるようにお願いして
演奏を聴きに行くという口実で施設に足が向くように段取りした。

でも何か感じるのか、施設に入るとき、
靴を脱ぐのにとても時間がかかった。
施設のスタッフさんに誘導されてなんとか玄関からは入れた。
そして私の演奏会を聞き、母は父に会わないようこっそり帰った。
母は父が「一緒に帰る」と言い出すのが怖かったのだろう。
私と私の主人と私の兄とで父を部屋まで連れて行った。
「ここがお父さんのお部屋だよ。」「窓からは公園や小川が見えるよ。」
「お母さんがもうすぐ手術だからしばらくここにいてね。」
「毎日、孫たち連れて会いにくるからね。」などなどいろいろ話をした。
あとは担当の介護スタッフさんに父をお任せして帰った。

父は母の手術のためにと納得したのかどうか確かではないが、
そのときはあまり抵抗はしなかった。
言葉が少し出づらくなってきているようなので、
うまく言えなかっただけかもしれないが。。。
なんとか父を入所させることができて、
母にも何年かぶりにゆっくり眠れる日が来て本当に良かった。
私は産後初演奏だったということもあり、いろんな意味でホッとした。
でも母にはちょっと複雑な思いもあって、涙ぐむ瞬間も度々あった。
入所するその日まで『本当にいいのか』と思う気持ちがあったようだ。
何十年も一緒にいて、喧嘩したり、もう離婚しようと思ったり、
一方で幸せな時間もたくさんあっただろう。
そう簡単に割り切れるものではないのだろう。
結婚して十数年の私には
想像もつかない思いがきっとあるに違いない。

父や母はいつまでも
元気でいるものではないんだなあとつくづく思った。
そして今度は少しずつ自分の番が
近づいて来ているんだなあと焦りを感じた。
まだまだやりたいことがいっぱいある。
とはいえ焦らず、
今できることを精一杯やって今を前向きに生きていきたい。

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