新米主婦の奮闘日記
起業をめざした新米主婦が日々の奮闘を綴る。
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認知症の父とのやりとり日記③(2016/4/2~4/30)
4月2日
演奏会
なんだか緊張してしまったが、みなさん喜んでもらえたようだった。
父にどうだった?と聞くと、「良かった」とのこと。
1月に演奏させていただいたときは、
演奏後に施設に行く度にいろいろなおじいさんおばあさんに
「この間はありがとう」と言ってもらえて
驚きとうれしさでいっぱいになった。
今回も楽しみにしていただいていたようで、
演奏会後にわざわざ声をかけてくれたおばさんがいてうれしかった。

4月5日
元気そう。
私の演奏会のことや母も聞きに来ていたことも覚えていた。

4月9日
行くとぐっすり寝ていた。
寝ているのを起こすと機嫌がわるくなるかもしれないので、
一旦足りなくなったパットなどを買いに行った。

少し前に、担当の女性スタッフさんに父が手を上げたことがある。
ビックリしてスタッフさんに話を聞くと、
朝寝ているところを起こすとき、夢を見ていたのか
夢と現実との認識があやふやになり、
そこから不穏が出てきて、
手を上げるということに至ったのではないかとのこと。
なので、今後起こすときには気を付けますとのことだった。
本当に申し訳ない。。。
それから、女性スタッフさんに対しては横柄な態度だったり、
口調がきつかったりするが、
男性スタッフさんにはそんなことはないそうなので、
不穏になりそうなときは男性スタッフさんが対応するとのことだった。
困ったことだ。
手を上げられたスタッフさんには謝ったが、
「そんなこと気にしないでください」と。
本当に良いスタッフさんで感謝している。

買い物から帰ってくるとちょうど晩御飯時。
食事中の父の横で一緒に座って少し話をしてから帰った。

買い物だけしてそのまま父に会わずに帰ったこともあるが
そのときは怒っていたそうだ。
時間がないこともあるのよ。お父さん。

4月11日
夜眠れていないそうで眠たそう。
気分にむらがあるので安定剤を服用。
そのためか穏やかだったが、
何やらいろいろとブツブツ文句らしきことを言っていた。
何を言っているのかはわからず。
母はなんで来ないのか?とのこと。
会いたいようだ。

4月12日
昨日に引き続き文句の日。
でも昨日のことはあまり覚えていないようだった。
施設の文句、主人の文句、母の文句。。。

NHKの番組で昨日『ユマニチュード』というのをやっていた。
なるほど~!!とすごく参考になったし、
今までやってきたことも間違いではなかったんだ!と励みになった。
そして実践しようと意気揚々と施設へ。

撃沈。
やっぱり難しい。。。
父の文句話が出てくる度に違う話題にするが、
まためぐりめぐって文句の話にどうしても戻ってきてしまう。
そしてこっちが一生懸命になって説明しようとしてしまうと
話す文章が長くなってしまい、
理解が難しくなるようで余計混乱させてしまった。
挙句の果てにうそつき呼ばわりされて泣きそうになった。

番組では話好きそうなおばあちゃんが出ていたから
うまくいったのではないかなあと思った。
気難しいおじいちゃんで試してみて欲しい。
なんならウチの父で。

母曰く、納得させようとか説明しようとか考えてはダメ。
そだよね。
母も距離を置いたから
他人事のように言えるようになったようで良かった。

この件から私の苦悩が始まった。
しばらく距離を置こうと思った。
そしてどっと疲れが出た。。。
頑張りすぎたかな。

4月18日
主人に行ってもらう。
100円ショップの大人のぬりえと色鉛筆、
父の施設の周辺の地図を持って行ってもらう。
自分がどこにいるのかを気にしているので
地図に記しを付けておいた。
ぬりえには興味深々だったようだが、
地図はもう理解できないようで関心を示さず。
絵は好きだから野草図鑑を今度持って行こう。

スタッフさんに手を上げてから穏やかに過ごしているそう。
少し時間を置いたのが良かったかなあ。

主人にはちょっとよそゆきモードになるし、
話をよく聞いてくれてうれしいのかも。

先日のうそつき呼ばわり事件以来自信の無くなってしまった私は、
1人で会いに行くのが怖くなってしまっている。
『なんとかわかってもらいたい』という気持ちが裏目に出てしまった。
認知症なんだから適当に話を合わせていればいい 
というのは違うと思う。
父にはわからないからと適当に話していると、
自分が蚊帳の外で仲間はずれにされていると感じてしまう。
認知症でも相手の表情や話し方で
上辺だけで話しているかどうかはわかる。
あるときスタッフさんのことを指差して
「あの人は上辺だけなんだ」と言っていたこともあった。
ネガティブな気持ちになることは認知症にとってマイナス効果である。

父は昔から発言がマイナスの言い方をする人だった。
私が何か話すと、すぐに否定から入ってくる。
それが子供心にすごく嫌だった。
親の影響ってすごく強いもので自分もそうなっていたようにも思う。
自分にはできない、こうしなきゃいけない、
人がこう言っていた。。。そんな考え方ばかりだった。
でも今はその苦悩を乗り越えて、
親と自分は違うんだと思えるようになったし、
親のコントロールから解放されて、自分を持てるようになったから、
子育てや自分の発言には
なるべく肯定の言葉を使うようにしているし、
考え方が180度全く変わった。

一時は両親のことがどうしても受け入れられない時期があったが、
今は産んで育ててくれたことにとっても感謝している。
親になって父と母の大変さや凄さやありがたさ、
その愛情に気づくことができたから。
そんな父と母のことを思っている、安心してほしい。
そんな気持ちからどうしても説明が長くなってしまった。
それがいけなかったのだと思う。
認知症になると
『AはB BはC だから AはC』というのが理解できない。

認知症になった今も父は日々 否定や文句ばかり言っている。
その度になんとか父の発言を否定せずに、
しかも楽しい気分になるような話題にしようと努力した。
そのときは話題が変わって、好きな植木や花の話、音楽の話、
その他父の好きな歴史や科学の難解な話になるが、
父の頭の中でどのように変換されるのか、
まためぐりめぐって元の文句の話に戻ってしまう。

また、父が母のことや自分のこと施設のことで
疑問に思うことがあれば嘘は言わずに答えたい。
でもそれに答えるとまた文句ばかりの会話になってしまう。
そこで私もなんとかしようと一生懸命になり過ぎると良くない。
そうなったらそれ以上は頑張らずに話を合わせるしかないのだろう。

そうは言っても、さっきまで向き合って会話していたところを、
「そうだね」と適当に合わせると、
父の中で賛同してくれたという印象だけが強く残り、
私が帰ろうとしたときに
『一緒に帰る』とか『一緒にご飯を食べる』ということに
いつの間にか変換されることがあり、
「さっきは一緒にいると言ったのに嘘だったのか」と
なるのではないかと思うのだ。

だから父との付き合い方に自信が無くなってしまった。
どこまで踏み込むべきか。どこで諦めるのか。
さじ加減がわからない。

父を嫌な気持ちにさせるのも、自分が嫌な気持ちになるのも怖い。
頻繁に会いに行っても会いに行く間隔が空いても
機嫌は良かったり悪かったりと影響しないようだし、
しばらく距離を置きたい。

4月20日
母と一緒に会いに行く。
父はうれしそう。
母が持参したりんごをおいしそうに食べていた。
母は父に手術跡を見せる。
父はわかっているのかいないのか??

先日興味を示したぬりえには全く手をつけていない。
色を塗るということももう難しいのかな。

天気が良かったので近くの公園まで散歩に行った。
途中にある柿の木やいちじくの木を見て
うれしそうに話をしながら歩いた。
うちの子が楽しそうに遊んでいるのをうれしそうに見ていた。

外に出ると施設に帰りたくなくなるのではと心配になったが、
すんなりと帰ることができて良かった。

私1人で父を散歩に連れて行くのは不安だが、
またみんなで連れて行ってあげたいと思った。

4月30日
子供たちと会いに行く。
暖かくて良いお天気だったのでまた散歩しようと思ったが、
行くと寝ていたので、声だけかけて帰った。
ここ数日、昼と夜が逆転しているとのこと。
大体落ち着いて生活はできているそう。
声をかけたときは笑顔だった。
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認知症の父とのやりとり日記②(2016/3/2~3/29)
3月2日
元気そう。
明日退院。

3月3日
無事退院。

3月6日
穏やかで笑顔だった。
明日お母さんが入院すること、入院の前にここに来ることを伝える。

3月9日
母の手術無事終了。
12時間にも及ぶ大手術だった。

3月11日
父は落ち着いていて元気そう。

3月13日
兄家族と一緒に父のところへ。
元気そう。

3月15日 3月17日 3月20日
元気そう。

3月22日
長女を抱っこしてうれしそう。
穏やかになる。

3月25日
開口一番「ここを出ようと思っている」と。
母が入院していること、
退院してもすぐには日常生活はできないことを説明。
時間の感覚がなくなっているのか、
何年も施設に入っているように思っているよう。
今日の日にちや母の手術日を聞いて手帳に書こうとしているが
やっとのことで書けた。
昔から毎日手帳にメモのように、
その日あったことなど書いていたのでそのことを思い出したのか?
文字がかなり書けなくなっている。

電話番号を教えて欲しいとのこと。
待っている方は退屈で長いと。
でも父はもう電話もかけられない。

施設を出たいからか、
私のウチの手伝いをするからウチに行ってもいいか?と言う。。
内心困惑。
主人がやってくれるから大丈夫と伝えると、「そうだな。。」と。
そして、「自宅にいるときはちょっとやりすぎたかな。
正気じゃなかったな。」と
少し後悔しているような表情。
母に悪いことをしたと感じているのか。
「なんでこんな風になったのかなあ。。。」とも。

もうすぐ春だから散歩しようね。と窓を指差して言うと
「そうなんだ。あそこから監視しているのかな。」と言う。

ここは何階建てで何階か?とか
どうやって下に行くのか?とか聞いてくる。
自分がどこにいるのかがわからなくて不安なのかな。
出たいのかな。

今日は正気なところと変なところとがあり、
話していて哀しくなった。
元気そうだったが、いろいろ考えたり、
感じたりして日々を過ごしているようだ。

母に父の様子を伝えると、心にグサッと来たと言っていた。
母の腰が治り、面倒が見られるようになったら
連れて帰ろうかと思ったとのこと。

でも施設に入ったことで父にとってはいろいろな刺激があり、
言葉も出るようになってきているので、
母にも父にも良かったと思う。

3月29日
穏やかで会話もあまり変ではなかった。
4月に私がまた演奏させてもらえることになって、
楽しみにしているようだった。
認知症の父とのやりとり日記①(2016/1/30~2/25)
2016年1月30日 
父が施設に無事入所した。
しばらくは心配なのでできるだけ毎日様子を見に行った。
入所してすぐは、ちょっとよそ行きの気持ちでいるせいか、
スタッフさんに言われるがままに穏やかに過ごしているようだ。

1月31日 
主人と子供たちと一緒に会いに行く。
やはり納得はいっていないのか私の主人に「ここは難しい」
「自分でなんでもやってきたんだから」と言っていた。
なかなか言葉が出にくい様子。表情もかたい。

2月1日 
主人と子供たちと一緒に会いに行く。
私が先日演奏したのを覚えていて、
「一緒に演奏したいな」と言っていて驚いた。
母もこの日は施設のスタッフさん、
ケアマネージャーさんや
介護ベッドの業者さんと会うことになっていたので
施設には訪れたが父には会わずに帰った。
帰りたいと言われることを恐れてのこと。

2月2日
自分が今どこにいるのかが気になるようで、
しきりに施設のパンフレットとにらめっこをしている。
そして「ここのやり方はやっぱり合わない」と言う。
施設にかかるお金のことも気にしている様子。
パンフレットはタンスの上の見にくいところにしまっておいた。

本がゴミ箱に入っていたので
間違って落としたのかと思い「どうしたの?」と聞くと、
「この本は合わんから捨てた」とのこと。
本の表紙に赤のマジックで×が書いてあった。
言葉が出てくるようになってきた様子。

2月3日
今日は笑顔で迎えてくれた。
合わないとは言いながら「慣れてきた?」と聞くと「うん」とのこと。
私が帰るときに付いて来る。一緒に帰りたそう。

2月4日
元気そう。
母が3月に手術のため入院するのでその説明をする。
担当の先生が母を診察しているところの写真を見せた。
すると父が「先生の名前を教えて欲しい」と。
帰るとき、一緒に帰りたそう。

2月5日
元気そう。
新しい施設なので新しいスタッフさんが入って来られるが、
新しいスタッフさんとは
なかなかコミュニケーションがうまくとれない様子。
「夜この子(孫)が来るかなあと思ってた」と言う。
楽しみにしているよう。
母の手術日程を伝えると「見舞いにいかなあかんなあ」と言う。
「お母さんが治ったら来てもらおうね」と伝える。
今日はすんなり帰れた。

2月6日
穏やか。
スタッフさんの記録には、朝機嫌が悪かったと書かれていた。
「お母さんは家にいるって言ってたなあ」というので「そうだよ」と言うと
「良かったあ」と言う。
父なりに心配しているようだ。
「家に行きたいなあ。。」とつぶやく。

2月7日
兄家族とともに会いに行く。
元気そう。
自分の水筒に強い執着を持っていて、
スタッフさんがお茶を入れるために持って行こうとすると
盗られると思って拒否する。

後からスタッフさんに「急に来るから(兄家族や私たちが)困る」
と言っていたそう。

2月8日
この日は主人に行ってもらう。
いつもと変わらない様子。

2月9日
元気そう。
「あれは来ないのか?」というので「お母さんのこと?」と聞くと
「ああ」と言う。
「手術が終わって歩けるようになったら来られるよ」と伝える。
「少し慣れてきたかな?」と聞くと「うん」とのこと。

2月10日
元気そう。
手術前に母が来ると思うと父に伝える。

スタッフさんから話があった。
昔の話や好きなもの、今まで何をやってきたなどを聞き出して
カウンセリングを行うとのこと。

母が来たときに「帰る」と言い出さないか不安だが、
それに対応するのが私たちスタッフの仕事です。と
言ってもらえたと母に伝える。

2月11日
主人に行ってもらう。
トイレや入浴拒否があるとのこと。
お母さんの手術が成功するように協力しましょう。応援してください。
との言葉に大きくうなづいたとのこと。

2月12日
穏やかそう。
担当のスタッフさんによると今日は一日中眠たそうで、
ご飯食べながらウトウトして穏やかだったとのこと。
近々お母さんとみんなで来るねと伝える。

2月14日
施設から電話。
父が高熱を出しているとのこと。
病院に行った方が良いので一度ご家族も来てくださいと。
母にも連絡し、急いで施設へ。
施設のかかりつけの先生によると肺炎の可能性があるので、
すぐに病院に行ってくださいとのこと。
意識が朦朧としているようで、話しかけても返事がない。
救急車で行ってもらうので一緒に乗ってくださいと言われる。
小さい子供がいるので一度帰って、代わりに主人に付き添ってもらう。
肺炎との診断。
しばらく入院することになってしまった。
もうすぐ母も入院なのに。。。

抗生物質の点滴と酸素マスクで安定。

看護婦さんから、今後もし何かあったとき
延命治療をするかしないかの判断をどうするのか、
家族で話し合って欲しいとのこと。
姉と兄に相談。母にも連絡。

2月15日
家族で電話やメールで話し合う。
母の判断に任せたいがそれぞれ意見を出す。
そこまで真剣に考えたことがなかったし、
そんなに深刻だということもわかっていなかった。
今はまだどうなるかわからない状態。

肺炎になると痰が出るのでそれを取り除かなければならないが、
お年寄りはなかなかうまく出せないのだそう。
それがうまくいかなくて呼吸もうまくできなくなると、
酸素濃度が下がり危ない状態になる。
常に痰を看護婦さんに吸引してもらう。
吸引で取りきれないこともあり、吸引では追いつかなくなると
チューブを入れなければいけなくなる(気管内挿管)。
気管内挿管は長い間は無理で、2週間もすると
喉を切開しなければならない(気管切開による人工呼吸)。

気管内挿管をするということは
いづれ気管切開による人工呼吸になってしまい、
寝たきりになり、延命治療に繋がる。
人工呼吸器をつけてしまうと
日本の法律ではそれをやめることはできない。

父は常々延命治療には抵抗していた。
だから挿管はせず、自然な死を受け入れようと家族で結論を出した。

2月16日
主人にお見舞いに行ってもらう。
酸素チューブが取れ、体温は37.8℃、
意識はしっかりしており、会話もできた。
快方に向かっていた。
肺炎で救急車で運ばれて、今は回復していることを本人に説明。
穏やかで、母のことを気にしていたそう。

2月17日
主人に行ってもらう。
意識ははっきりしている。
ご飯は開始しているよう。
記憶の混乱があるようで、母の手術が終わったと思っていた。

2月19日
母と一緒にお見舞いに行く。
施設に入所してから初めての対面。
かなり回復していて顔色も良さそう。
ここは退屈だと言っていた。
元気になりすぎ。。
でも母に会えてうれしそう。

施設に父が入所してから、母は父に会うのをためらっていたが
自然な形で会うことができて良かった。

2月22日
順調に回復。
痰の吸引が辛そうで見ていられない。
いつまでここにいるのかと不安があるのか、
不満をもらす。
母を探しているのか病院の廊下を夜中に歩いていたらしい。

2月24日
そろそろ退院できそうだとの連絡あり。

2月25日
先生と施設のスタッフさんと母とで退院後のことについて話し合い。
私が行くと母が困っている。父が看護婦さんに怒って怒鳴っていた。
つねられたと言う。
おそらく理由はこうだ。
勝手にどこかに歩いて行ってしまうし、
まだ1人での歩行は危ないので、
車椅子に乗せようと
看護婦さんが腕をつかんだのが気に入らなかったようだ。

いじめてくるとも言うので、
みんなお父さんの肺炎が早く治るように
協力してくれているんだよと説明する。
病院に入ってからは、施設と違って自由には動けないし、
大抵はベッドの上なので表情もかたいし、
言葉も出にくくなっている。
やはり施設はありがたい。

新しくできたばっかりの施設だからか、
人それぞれ言うことが統一されていないなと感じることがあったり、
連絡がうまく行き届いてなくて待ちぼうけになることがあったり、
伝えておいたはずのことが伝わってなかったり、
施設に入所する前に必要なものは揃えたはずなのに、
入所してからあれこれと要るものを言われたり
そんなことがあったが、話してみるとみなさん良い人ばかりで、
父への対応も良いので、感謝している。
介護のお仕事は本当に大変なお仕事だと思う。
手を抜こうと思えばいくらでも抜けるお仕事だとも思うので
やはりスタッフさんの人柄が一番大事だと思う。
事務的な対応の未熟なところは
これからいくらでも改善されていくだろう。
良い施設に入所できて良かった。
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