新米主婦の奮闘日記
起業をめざした新米主婦が日々の奮闘を綴る。
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認知症の父とのやりとり日記①(2016/1/30~2/25)
2016年1月30日 
父が施設に無事入所した。
しばらくは心配なのでできるだけ毎日様子を見に行った。
入所してすぐは、ちょっとよそ行きの気持ちでいるせいか、
スタッフさんに言われるがままに穏やかに過ごしているようだ。

1月31日 
主人と子供たちと一緒に会いに行く。
やはり納得はいっていないのか私の主人に「ここは難しい」
「自分でなんでもやってきたんだから」と言っていた。
なかなか言葉が出にくい様子。表情もかたい。

2月1日 
主人と子供たちと一緒に会いに行く。
私が先日演奏したのを覚えていて、
「一緒に演奏したいな」と言っていて驚いた。
母もこの日は施設のスタッフさん、
ケアマネージャーさんや
介護ベッドの業者さんと会うことになっていたので
施設には訪れたが父には会わずに帰った。
帰りたいと言われることを恐れてのこと。

2月2日
自分が今どこにいるのかが気になるようで、
しきりに施設のパンフレットとにらめっこをしている。
そして「ここのやり方はやっぱり合わない」と言う。
施設にかかるお金のことも気にしている様子。
パンフレットはタンスの上の見にくいところにしまっておいた。

本がゴミ箱に入っていたので
間違って落としたのかと思い「どうしたの?」と聞くと、
「この本は合わんから捨てた」とのこと。
本の表紙に赤のマジックで×が書いてあった。
言葉が出てくるようになってきた様子。

2月3日
今日は笑顔で迎えてくれた。
合わないとは言いながら「慣れてきた?」と聞くと「うん」とのこと。
私が帰るときに付いて来る。一緒に帰りたそう。

2月4日
元気そう。
母が3月に手術のため入院するのでその説明をする。
担当の先生が母を診察しているところの写真を見せた。
すると父が「先生の名前を教えて欲しい」と。
帰るとき、一緒に帰りたそう。

2月5日
元気そう。
新しい施設なので新しいスタッフさんが入って来られるが、
新しいスタッフさんとは
なかなかコミュニケーションがうまくとれない様子。
「夜この子(孫)が来るかなあと思ってた」と言う。
楽しみにしているよう。
母の手術日程を伝えると「見舞いにいかなあかんなあ」と言う。
「お母さんが治ったら来てもらおうね」と伝える。
今日はすんなり帰れた。

2月6日
穏やか。
スタッフさんの記録には、朝機嫌が悪かったと書かれていた。
「お母さんは家にいるって言ってたなあ」というので「そうだよ」と言うと
「良かったあ」と言う。
父なりに心配しているようだ。
「家に行きたいなあ。。」とつぶやく。

2月7日
兄家族とともに会いに行く。
元気そう。
自分の水筒に強い執着を持っていて、
スタッフさんがお茶を入れるために持って行こうとすると
盗られると思って拒否する。

後からスタッフさんに「急に来るから(兄家族や私たちが)困る」
と言っていたそう。

2月8日
この日は主人に行ってもらう。
いつもと変わらない様子。

2月9日
元気そう。
「あれは来ないのか?」というので「お母さんのこと?」と聞くと
「ああ」と言う。
「手術が終わって歩けるようになったら来られるよ」と伝える。
「少し慣れてきたかな?」と聞くと「うん」とのこと。

2月10日
元気そう。
手術前に母が来ると思うと父に伝える。

スタッフさんから話があった。
昔の話や好きなもの、今まで何をやってきたなどを聞き出して
カウンセリングを行うとのこと。

母が来たときに「帰る」と言い出さないか不安だが、
それに対応するのが私たちスタッフの仕事です。と
言ってもらえたと母に伝える。

2月11日
主人に行ってもらう。
トイレや入浴拒否があるとのこと。
お母さんの手術が成功するように協力しましょう。応援してください。
との言葉に大きくうなづいたとのこと。

2月12日
穏やかそう。
担当のスタッフさんによると今日は一日中眠たそうで、
ご飯食べながらウトウトして穏やかだったとのこと。
近々お母さんとみんなで来るねと伝える。

2月14日
施設から電話。
父が高熱を出しているとのこと。
病院に行った方が良いので一度ご家族も来てくださいと。
母にも連絡し、急いで施設へ。
施設のかかりつけの先生によると肺炎の可能性があるので、
すぐに病院に行ってくださいとのこと。
意識が朦朧としているようで、話しかけても返事がない。
救急車で行ってもらうので一緒に乗ってくださいと言われる。
小さい子供がいるので一度帰って、代わりに主人に付き添ってもらう。
肺炎との診断。
しばらく入院することになってしまった。
もうすぐ母も入院なのに。。。

抗生物質の点滴と酸素マスクで安定。

看護婦さんから、今後もし何かあったとき
延命治療をするかしないかの判断をどうするのか、
家族で話し合って欲しいとのこと。
姉と兄に相談。母にも連絡。

2月15日
家族で電話やメールで話し合う。
母の判断に任せたいがそれぞれ意見を出す。
そこまで真剣に考えたことがなかったし、
そんなに深刻だということもわかっていなかった。
今はまだどうなるかわからない状態。

肺炎になると痰が出るのでそれを取り除かなければならないが、
お年寄りはなかなかうまく出せないのだそう。
それがうまくいかなくて呼吸もうまくできなくなると、
酸素濃度が下がり危ない状態になる。
常に痰を看護婦さんに吸引してもらう。
吸引で取りきれないこともあり、吸引では追いつかなくなると
チューブを入れなければいけなくなる(気管内挿管)。
気管内挿管は長い間は無理で、2週間もすると
喉を切開しなければならない(気管切開による人工呼吸)。

気管内挿管をするということは
いづれ気管切開による人工呼吸になってしまい、
寝たきりになり、延命治療に繋がる。
人工呼吸器をつけてしまうと
日本の法律ではそれをやめることはできない。

父は常々延命治療には抵抗していた。
だから挿管はせず、自然な死を受け入れようと家族で結論を出した。

2月16日
主人にお見舞いに行ってもらう。
酸素チューブが取れ、体温は37.8℃、
意識はしっかりしており、会話もできた。
快方に向かっていた。
肺炎で救急車で運ばれて、今は回復していることを本人に説明。
穏やかで、母のことを気にしていたそう。

2月17日
主人に行ってもらう。
意識ははっきりしている。
ご飯は開始しているよう。
記憶の混乱があるようで、母の手術が終わったと思っていた。

2月19日
母と一緒にお見舞いに行く。
施設に入所してから初めての対面。
かなり回復していて顔色も良さそう。
ここは退屈だと言っていた。
元気になりすぎ。。
でも母に会えてうれしそう。

施設に父が入所してから、母は父に会うのをためらっていたが
自然な形で会うことができて良かった。

2月22日
順調に回復。
痰の吸引が辛そうで見ていられない。
いつまでここにいるのかと不安があるのか、
不満をもらす。
母を探しているのか病院の廊下を夜中に歩いていたらしい。

2月24日
そろそろ退院できそうだとの連絡あり。

2月25日
先生と施設のスタッフさんと母とで退院後のことについて話し合い。
私が行くと母が困っている。父が看護婦さんに怒って怒鳴っていた。
つねられたと言う。
おそらく理由はこうだ。
勝手にどこかに歩いて行ってしまうし、
まだ1人での歩行は危ないので、
車椅子に乗せようと
看護婦さんが腕をつかんだのが気に入らなかったようだ。

いじめてくるとも言うので、
みんなお父さんの肺炎が早く治るように
協力してくれているんだよと説明する。
病院に入ってからは、施設と違って自由には動けないし、
大抵はベッドの上なので表情もかたいし、
言葉も出にくくなっている。
やはり施設はありがたい。

新しくできたばっかりの施設だからか、
人それぞれ言うことが統一されていないなと感じることがあったり、
連絡がうまく行き届いてなくて待ちぼうけになることがあったり、
伝えておいたはずのことが伝わってなかったり、
施設に入所する前に必要なものは揃えたはずなのに、
入所してからあれこれと要るものを言われたり
そんなことがあったが、話してみるとみなさん良い人ばかりで、
父への対応も良いので、感謝している。
介護のお仕事は本当に大変なお仕事だと思う。
手を抜こうと思えばいくらでも抜けるお仕事だとも思うので
やはりスタッフさんの人柄が一番大事だと思う。
事務的な対応の未熟なところは
これからいくらでも改善されていくだろう。
良い施設に入所できて良かった。
認知症の父が施設に入所するまで
最初はデイサービスから始めた。
毎日、認知症の父と24時間二人きりでいるのはとっても大変なので、
少しでも母の負担を軽くしたいから。
また、ゆくゆくは施設に入ることになるかもしれないなとも考えていた。

父は『アルツハイマー型認知症・レビー小体型も併発』という症状で
要介護2と認定された。
包括支援センターのスタッフさんの協力や
かかりつけのお医者さんの意見書などをもとに、
市へ認定の申請をした。

隣町のデイサービスへ通うことになったが、
さてどうやって父に通ってもらおうか??
嘘は言いたくないので正直に
「今度デイサービスに行ってみようね。」と母から伝えた。
父は自分が認知症であることをはっきり病院で聞いているが、
自分のこととはわかっていないようだ。
自分がボランティアのために施設に行くと思っているらしい。

当日デイサービスのスタッフさんと
なじみのある包括支援センターのスタッフさんで迎えに来てもらった。
やはりプロであるから、対応に慣れていらっしゃって
上手に誘導して連れて行ってくれる。

認知症の父は、初めて会う人や初めてのことをすごく警戒する。
でも他人にいい顔をしてしまうので
「行こうね。」と言われると断れないのだろう。
それに父の難解な話を聞いて、「またお話聞かせてくださいね~」と
言ってくれるので父は気分が良い。
でもデイサービスから帰ってくると「もう行かない」と言うらしい。

父は会話が成り立つときもあれば全く成り立たないときもあり、
昨日の記憶があるときもあれば全く忘れてしまっているときもある。
自分の言いたいことがうまく言えなかったり伝わらなかったりすると
だんだん不安感やイライラが出てきてしまうようで
母への暴言や暴力に繋がるらしい。
母もなるべく否定したりしないようにしているが、
毎日24時間ずっとそうするのはなかなか難しい。

私はちょうどイヤイヤ期の子供がいるが、
父はまったくその子供のようだなと思うことがよくある。
気に入らないことは気に入らない、
食べたいものは食べたい、いらないものはいらない、
そこを邪魔されるとすごく腹を立てる。
怒り出すと何をしても何を言ってもどうにもならない。
うまく誘導して他の事に気を向けさせられたときは良いが、
いつもいつもそううまくいくものではない。
まったく一緒である。

そしてときどき自分の頭を指差しながら
「何かこう・・・頭の中がどうにかなってるのかな」と
父が言うことがある。
自分の中でも年をとることに抵抗しているような、
年を取った自分と
そうではない自分とが戦っているようなそんな印象を受ける。
きっと自分が老いていくことを認めたくないのだろう。
「認知症で脳が萎縮しています」とお医者さんに言われても
ピンときていない。
自分以外の誰かのことだと思っているようだ。

父は行方不明になったことがある。
まだまだ認知症初期のころである。
そのころはまだ1人で留守番ができていたので、
母は用事で近所まで少し出掛けた。
その母を父は捜しに出掛けたのである。
近所の人に母を見なかったか?と聞いていたそうである。
一見普通に会話ができるので、
父の認知症を知らない人は尋ねられたら普通に答えてしまう。
そして言われたように母を求めて歩いていたら迷子になってしまった。
母は悩んだが警察に連絡し、捜してもらった。
夜中になって近くの公園に倒れている父が見つかった。
低体温症で意識が朦朧としていたそうであるが
命に別状は無く、朝になって退院した。
本当にびっくりして、もうこれまでかとも思ったが見つかって良かった。
そのことがあって、やっぱりそうなんだ、認知症なんだと再認識した。

行方不明になるちょっと前に
父と母がウチに遊びに来たことがあった。
そのとき一緒に夕食を食べたが、サラダにかけた
ドレッシングに入っていた粗挽きの黒胡椒を父は箸で退けていた。
そのときは私もおかしいなあと思うだけで、
認知症の人によくあることとはわからず、
「それは胡椒だよ」と注意してしまった。
黒いものを小さな虫だと思い込んでしまうことが
よくあるらしいと後で調べて知った。
母からも幻視のことは聞いていた。
「知らない人が家の窓から見ている」と父が言っていたそうである。
でもなかなかそれとこれとが結びつかない。
だから知らないうちに父を不安にさせてしまったり、
傷つけてしまったりしていたかもしれないということにハッとした。

そんな生活がしばらく続いた。
父も要介護2から要介護3になり、
重度の知的障害との診断も受けた。
母とは連絡を取り合い、愚痴をいろいろ聞いたりしていた。
そしてお正月には孫を連れて遊びに行っていた。
会う度に父が年老いていくのがわかった。
会話のつじつまが合わないことが増え、
歩くのもかなりゆっくりでよぼよぼしてきた。
あるとき将棋に興味をもったウチの息子がどうやってやるの?
と聞くので父に教えてもらおうと聞いてみた。
でも何を言おうとしているのかさっぱりわからない。
わからないからさらに質問するが質問に対する答えが返って来ない。
『筋道を立てて説明する』ということがもうできないのだなと思った。
そういえば、よく子供たちはしりとりをして遊ぶので、
前に父を誘ってみたことがあったができなかった。
説明したり、言葉で遊んだりというのはもう難しいようだ。

また、父は夜中に何度もトイレに行く。
その度に母は起こされる。
布団を汚してしまうこともしばしば。
その度に母は布団を干し、父を着替えさせ、洗濯する。
母は腰が悪く、重たい父の足を上げて着替えさせることは
本当に重労働である。
父は「床から水が湧いてきた」と言い訳し、
または逆切れして母のせいにして罵倒することもある。
プライドがあるからだろうとは思うが、
毎日世話している方からすれば本当にやりきれない。

何が大変か数えればきりが無い。
いくら他人に大変さを説明してみても、
やってみないと本当にはわからない。
私は父とときどき会う程度だから想像することしかできないが、
介護と子育てって似ているなあと思うことが多い。
でも子育てには喜びもあるし、自分も成長できる。
介護はどうなのだろう。。。

父は穏やかなときもあり、また母のことをスタッフさんだと勘違いして
「どうもありがとう」なんて言うこともある。
そういう毎日ならなんとか世話できるかもと母も思う。
でも一旦怒りだしたり、罵倒したり、夜中に何回も起こされたり、
勝手に火を使ってないか、
電気や暖房を付けっぱなしにしていないか、
勝手に外に出て行かないかなどを
常に見張っていなければならなかったり、
そんな生活は本当につらい。
そうなるとやっぱり施設に入ってもらおうかと悩む。
でも父の人生を奪うことにならないかと申し訳ない気持ちになるし、
面倒を見られない自分を責めてなかなか決心が付かない。

母が決心したのは自分の腰の手術をすることになったからである。
それまでにも施設の見学にはいくつか行っていた。
申し込んでもすぐに入れるわけではないので、
いざというときのために早めに申し込むだけでも
しておかなければと思ったからだ。
特別養護老人ホームは費用が比較的安いが空きがない。
有料老人ホームも安いところは空きがなく、空いているところは高い。
それに結構へんぴなところにあることが多いし、
雰囲気がなんとなく暗いところが多い印象だった。
贅沢は言えないがやっぱり納得のいくところを選びたい。

母が見学に行ったある施設では、
「そんな大変な人は受け入れられません」と言われたそうである。
母は涙ながらに
「大変な人を受け入れるのがそちらの仕事ではないですか」と。
介護に疲れきっている人にそんなことを言うなんてなんてことだろう。
逆に言えば、そんなことを言ってしまうほど
施設の人も切羽詰っているということなのだろうか。

幸いウチの近くに新しく施設がオープンしたことがわかり、
空きがまだあるということなので見学に行った。
有料老人ホームなので少し高いが、
ウチの近くだというメリットがすごく大きい。
母が手術で来られない間、私が通うことになるので、
赤ちゃんを持つ身で近いというのはすごく良い。
母と施設のスタッフさんと今までお世話になっていた
ケアマネージャーさんと話し合い、
納得いくまで話を聞いてそこに決めた。

決めたは良いが、どうやって父を連れてくるのかまた悩む・・・。
無理やり連れて行くのは良くないし、騙すようなこともしたくない。
何回か父に入ってくれるようにそれとなく話をしてみる。
母の手術があるからその間は施設にいて欲しい。と。
ウチも近いし、今度遊びに来たときに一緒に見学に行こうね。と。
「うん。」とか「そうか。」という返事だったり、
「自分は1人で大丈夫だ。」「今まで全部自分だけでやってきた。」
なんていう話になったり。
1人でなんて絶対無理なのに認めたくないのである。
そこを否定するようなことを言うと怒り出すことになるので、
本当に毎回話しをするのは大変だった。

後日、「この間話した施設に今から見学に行こうね」と言うと
「じゃあ行こう」というので予定通り見学に行った。
どうしてかはわからないが、行く気になってくれて一安心である。
別行動で母はスタッフさんと最終打ち合わせを、
父は施設を一通り見学させてもらう。
「どうだった?いいところだね」と父に言うと
「うん・・・やっぱりここはどうも具合が悪い」と言う。
「ご飯もおいしいんだって。お母さんの手術の間はいてね」と
言うしかない。
「・・・」

入所までに部屋をいつでも使えるように準備した。
介護用ベッドのレンタル、タンスやイス、
着替えや布団、オムツなどなど。
そして父には「今度、この間見学に行った施設で私が演奏するから
聞きに来てね」と伝えた。
すると父は「うん。聞きに行く」と。
父は可能な限りはいつも私の演奏会には顔を出してくれるし、
とても楽しみにしてくれているようなので
施設の方にも演奏させてもらえるようにお願いして
演奏を聴きに行くという口実で施設に足が向くように段取りした。

でも何か感じるのか、施設に入るとき、
靴を脱ぐのにとても時間がかかった。
施設のスタッフさんに誘導されてなんとか玄関からは入れた。
そして私の演奏会を聞き、母は父に会わないようこっそり帰った。
母は父が「一緒に帰る」と言い出すのが怖かったのだろう。
私と私の主人と私の兄とで父を部屋まで連れて行った。
「ここがお父さんのお部屋だよ。」「窓からは公園や小川が見えるよ。」
「お母さんがもうすぐ手術だからしばらくここにいてね。」
「毎日、孫たち連れて会いにくるからね。」などなどいろいろ話をした。
あとは担当の介護スタッフさんに父をお任せして帰った。

父は母の手術のためにと納得したのかどうか確かではないが、
そのときはあまり抵抗はしなかった。
言葉が少し出づらくなってきているようなので、
うまく言えなかっただけかもしれないが。。。
なんとか父を入所させることができて、
母にも何年かぶりにゆっくり眠れる日が来て本当に良かった。
私は産後初演奏だったということもあり、いろんな意味でホッとした。
でも母にはちょっと複雑な思いもあって、涙ぐむ瞬間も度々あった。
入所するその日まで『本当にいいのか』と思う気持ちがあったようだ。
何十年も一緒にいて、喧嘩したり、もう離婚しようと思ったり、
一方で幸せな時間もたくさんあっただろう。
そう簡単に割り切れるものではないのだろう。
結婚して十数年の私には
想像もつかない思いがきっとあるに違いない。

父や母はいつまでも
元気でいるものではないんだなあとつくづく思った。
そして今度は少しずつ自分の番が
近づいて来ているんだなあと焦りを感じた。
まだまだやりたいことがいっぱいある。
とはいえ焦らず、
今できることを精一杯やって今を前向きに生きていきたい。

<< 父の認知症 もくじ
父が認知症と診断されるまで <<
父が認知症と診断されるまで
ある日母から電話があった。
父が暴力をふるうと。

昔から子供ながらに思っていた。
父は変わった人ですごく理屈っぽくて近づきにくいなあと。
だから次第に会話することも遠ざけていた。
母も父の面倒な話が始まると聞いているようで聞いていない。
それでも私は大人になってからは
できるだけ理解しようと話は聞くようにしていた。

そんな父が暴力をふるう・・・全くなんてことだと父に電話した。
母に暴力をふるわないでと。
ときにはありがとうと言ってあげて欲しいと。
すると自分は悪くない、母が悪いと言う。
決して謝らない。
暴力も肯定するような内容の話もあった。
話が平行線なので、そのときはとにかく暴力はしないように
ということだけ伝えて電話を切った。

昔からそうだが、
80過ぎの父は決して謝らないし「ありがとう」なんてもっての外。
そして暴力に暴言まででるようになり、なんとかしなくてはと思った。
妊娠中の私に心配させるようなことを言うのは母も悩んだことだろう。
そこで私の住んでいる地域で知り合いのいた
老人福祉施設に相談することにした。

もしかしたら認知症かもしれないので、
お母さんの住んでいる地域の包括支援センターへ
相談してみてはどうかとのこと。
その旨を母に伝えた。

ここで問題が。父にバレないように
どうやったら包括支援センターへ相談に行くことができるのか。。。
母は私や包括支援センターへの電話すら家の外に出てしていた。
父は自分はなんでもできる、まだまだ元気だと自負している。
実は父は以前、認知症テストを受けたことがあり、
脳のMRIも撮ったことがある。
相当説得して病院に連れて行ったようである。
そのときは年相応の結果で、異常はなしとのことだったのだ。
それもあって父は良いのか悪いのか
ますます自信を持ってしまっている。
母は父に「病院に行くから」と言って
包括支援センターへ相談にでかけた。
病院なら時間がかかっても問題ないから。

そこでまずは包括支援センターのスタッフさんと
専門のお医者さんが自宅に訪問してくれることになった。
父を連れて認知症の診断のための病院に行くことは
相当難しいからだ。
それも自然を装って、
お年寄りのいるお宅へ市からそれぞれ訪問に来ていますと。
母から相談を受けたことも無かったことにし、
母にも初めて会ったように接してもらった。
そして会話しながら診断したり、また認知症のテストを受けたりした。
母も同じように認知症テストを受けた。
やはりもっと詳しく調べるために病院に行くように言われた。

どうやって病院に連れて行くのか??
いちいち大変。
お互い年をとったし、
お母さんも一緒にテストをうけるからと納得させたと思う。
確か、包括支援センターのスタッフさんと先生とが
一緒に迎えに来てくれたと思う。
母1人で父を連れて行くことなどとてもできないから。

結果は
『アルツハイマー型認知症・レビー小体型も併発』との診断だった。
数年前の検査では異常なしだったにもかかわらず、
今回は認知症と診断された。

両親は年をとってから2回引越しをしている。
1回目の引越し以来、父は怒りっぽくなったのは確かだ。
引越しはお年寄りにはかなりのストレスになるという。
そういう理由もあるのかどうか確かではないが、
父の言動にあれ?と思うことが徐々に増えてきていた。
でも認知症という考えにはなかなか至らなかった。
父の性格なのかなと思ったので
最初はなんとか母と仲良くしてくれるように言うことしかしなかった。
母もそんな父に正面から接することしかできなかった。
だから少しでも違和感を感じたら
どこかに相談するのはとても大事だと思った。

父はピアノを大人になってから始めている。
私の結婚式で一緒に合奏したのが最初で最後になってしまった。
2回目の引越し後に
親子で出られる親子コンサートがあることを知り、
私の子供も交えて親子3代で応募するつもりだったが
実現しなかった。
もう少し落ち着いたら
またそんなコンサートをやりたいと思っていたが、
今となってはもう父には楽譜が読めない。
認知症になると書類や地図が理解できなくなるが、
楽譜も読めなくなるようだ。
昔やった曲ならできるかなとも考えたが、
それもかなりたどたどしい演奏で、一緒に合奏するとなると難しい。

父は絵を描くことも好きだった。
すごく細かいところまでルーペで見ながら植物の絵を描いていた。
それも今では子供の絵のような絵しか描けなくなってしまった。

庭の手入れも父の大好きなことだ。
好きな花や木を植え、草取りや剪定、水撒き。
毎日のように外で何かをしている父だった。
でも今は一応外に出るが何をしたら良いのか混乱するようで、
水撒き用のホースを分解してしまっては困って
そこまでになってしまう。

人生というのは長いようであっという間だと思った。
やりたいことは『後でそのうち』ではなく、
そのときにしなくてはいけないなとも思った。
認知症は死への恐怖を
少しでも和らげるためにあると聞いたことがある。
でも認知症になっても生き生きと過ごせる方法を知りたい。
好きだったことがどんどんできなくなるなんてなんと悲しいことだろう。
今の父はどんな世界にいるのだろう。
そう思うととても切なくなってくる。

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父の認知症 もくじ
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